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8月6日に広島で落とされた原爆以降の悲劇まとめ

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8月6日。

1945年のこの日は広島に原爆が落とされた日だ。

しかし、あれから74年経つ現在の日本人はあの時の悲劇を忘れつつある。

我々の日本人に起きた経験を忘れてはならない。

しかし、原爆投下後にも広島市民は大変な思いをしていたのを知っているだろうか?

そこで今回は1945年の広島で何が起きたのかを改めて振り返ることにする。

1945年8月6日の広島の朝は快晴だった。

1945年の8月6日の広島は雲一つない快晴だったという。

午前7時ごろには警戒警報が鳴っていたが、直後に解除され人々はホッと一息。

食料を買いに外に出かけるもの。

学校に勉強しに行くもの。

銀行に預金しに行くもの。

あらゆる人がいつものように日常を過ごしていた。

午前8時ごろには朝ごはんの準備をしている家庭が多かった。

早くご飯が出来ないか待ち遠しい思いをしていた子供がたくさんいたことだろう。

原爆を積んだB-29が広島市内に接近しているとも知らずに。

午前8時15分、広島に原爆が落とされる。

画像:原爆投下直後に上がったきのこ雲

1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆が落とされた。

ウラン235を積んだ原子爆弾『リトルボーイ』は瞬く間に広島市民を絶望に叩き落とした。

9600メートル前後でリトルボーイは投下され、上空580メートルで爆破。

爆破直後の周りの空気の温度は数百万度と言われ、上空には白熱の火球が現れた。

そしてその火球は膨張し、1万分の1秒後には直径28メートルの火球になり、温度は30万度に。

1秒後には直径280メートルまで膨れ上がり、爆発の瞬間には強烈な熱戦と放射能が溢れ出た。

空気は膨張し爆風になり、原爆投下地点付近の建物、人の全てを吹き飛ばした。

広島市内で悶え苦しむ人が大量に溢れかえる

原爆投下直後の市の様子はそれは悲惨なものだった。

原爆の熱でただれた皮膚を引きずっている人、水を求めて川に飛び込み出血がひどくなりそのまま亡くなる人、この世にいるのかわからない肉親を探し求める人。

地獄。

まさにその言葉がふさわしい惨状であった。

原爆投下直後は生き延びていても大量出血で苦しみながら亡くなる方も多かった。

しかし、原爆が投下されても悪夢はまだ終わらない。

原爆から発生した残留放射線が二次災害を引き起こす。

原爆投下から30分後、黒い雨が広島市内に降り注ぐ

原爆投下から30分後、広島市内に黒い雨が降り注いだ。

井伏鱒二の小説「黒い雨」も原爆投下後に降った黒い雨がモデルになっている。

黒い雨の正体は原爆による残留放射線が含まれたチリが上空に上がり、それが雨になって降り注いだものだ。

何が起きたのか整理がつかない人々にとって黒い雨の正体などわかるはずもなく、大量に浴びるものが続出した。

「黒い雨」の主人公の原爆症はこの黒い雨によって引き起こされたものだ。

原爆症になった人はたとえ無傷で元気そうに見えていても脱毛や嘔吐、下痢を引き起こし、

苦しみながら亡くなる。

原爆症にかかると自力で血液を作り出せなくなるのだ。

原爆は一瞬にして多くの人の命を奪い、投下してからも人々の命を奪い続けた。

防災対策がされてない広島市に枕崎台風が襲いかかる

画像:枕崎台風が襲った後の様子

原爆が投下され不安が渦巻く人々に追い討ちをかけるように枕崎台風が襲いかかった。

枕崎台風は昭和の三大台風に数えられ、広島市では死者・行方不明者合わせて2000人を超えた。

原爆投下後は気象予報や防災対策を万全に行えなかったため被害がさらに悪化したと言われている。

川は増水し氾濫して家屋や人を容赦無く飲み込んだ。

広島市に放射能の調査をしにきた教授も宿泊していた病院が土石流に巻き込まれ、教授とその調査員が合わせて11人亡くなっている。

8月6日のTwitterの反応まとめ

8月6日の今日、Twitterの反応をまとめた。

 

まとめ

1945年の8月6日は決して忘れてはいけない。

だが、その後の被害だって同じだ。

原爆後の出来事を知っている人が少なくなってきた今こそ、

改めて原爆が投下された後の被害を学び直す必要があるのではないだろうか?

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