ブログ

【黙祷前必読】長崎の原発の被害は想像する100倍酷い!

投稿日:

8月9日午前11時2分、長崎に原発が落とされた。

そしてこの時間、全国民は黙祷するだろう。

だが、長崎の原発の本当の恐ろしさを知っている人はいったい何人いるだろう?

まさか時間になったから黙祷する、なんてことをするわけにはいくまい。

8月9日に何があったのか正しく理解し、亡くなった人々に祈りを捧げる。

それが本当の日本国民ではないのか?

ということで8月9日の長崎に何が起きたのか徹底解説する。

8月9日午前11時2分、長崎に原爆が落とされる

そん日は快晴だったという。

昼食の準備で家事をしていたものも多かった。

原爆はそんな時に落とされた。

爆発と同時に空中の一点に摂氏数千万度ともいわれる火球が発生、体積が急速に膨張した。爆発から一万分の一秒という超ミクロの瞬間にその直径は約30メートル、温度は摂氏およそ30万度になり、さらに火球は百分の一秒から一秒の間に直径100~280メートルに達した。

火球から放射された熱線は、爆発直後から約3秒間にわたって外部に強い影響を与えたと考えられている。

特に人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒までの間においての赤外線であった。一説では地上物質の表面温度は、原爆の直下では恐らく3,000~4,000度にも達したと推定されている。

出典:https://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1102.html

地表温度が3000〜4000度という一般には考えられない温度まで上がったのだ。

人体はあまりの灼熱に皮膚が溶ける。

黒焦げになったものも多かった。

爆風は近くにある建物や人を全て吹き飛ばした。

(原爆投下後の長崎の様子)

長崎の原爆にはプルトニウムが使われた。

広尾の原爆よりも威力が強いものだ。

被害は長崎の方が小さかったのだが、これは長崎の爆心地には山が多かったからと言われている。

山が多い地形によって爆風が遮られ、爆発の威力が弱まったのである。

もし、山がなく平地であったら広島よりも被害が酷かっただろうと言われている。

長崎の原爆の被害をまとめたのが下にまとめた。

死者 73,884人

重軽傷者74,909人

合計148,793人

罹災人員120,820人(半径4キロ以内の全焼全壊家屋の世帯員数)

罹災戸数18,409戸(半径4キロ以内の全戸数。市内総戸数の約36%)

全焼11,574戸(半径4キロ以内。市内の約3分の1に当る)

全壊1,326戸(半径1キロ以内を全壊と見なしたもの)

半壊5,509戸(全焼全壊を除く半径4キロ以内を半壊と見なしたもの)

出典:https://nagasakipeace.jp/japanese/atomic/record/scene/1103.html

そして長崎に黒い灰が襲いかかる

原爆投下後、長崎に黒い灰が襲い掛かった。

黒い灰の正体は原爆に含まれていた物質、紙切れ、木片などであったという。

もちろん、放射性物質も含まれており、黒い灰によって被曝するものも少なくなかった。

黒い灰だらけになった髪を水ですすぐと、次々と髪の毛が抜けてしまった人もいたという。

恐怖はまだ終わらない。黒い雨によって被爆者が急増

原爆によって空高く上がったキノコ雲が冷やされ、雨になって降り注いだ。

その時に灰も巻き込み、黒い雨となって地上に降り注いだ。

人々は裸で逃げていたものも多く、その冷たさに震えたという。

黒い雨には放射性物質が含まれおり、さらに被爆者の数は増えた。

こうして長崎の原爆投下から数々の恐怖が押し寄せてきたのである。

長崎平和公園が存在する意味

数々の犠牲者がでた長崎原爆であったが、

原爆落下中心地北側に悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、

世界平和への願いを込めて長崎平和公園が作られた。

そこにある平和祈念像が意味しているのは

天を指した右手は原爆の脅威。

水平に伸ばした左手は平和。

軽く閉じた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈る、という想いが込められている。

原爆が投下された8月9日を「ながさき平和の日」と定め、

平和祈念像の前で平和祈念式典がとり行なわれる。

平和祈念像の前方には平和の泉というものがある。

原爆のために皮膚がただれた者は水を欲しがり亡くなっていった。

皮膚がただれたものにとって水は再出血を促し、そのまま出血多量で亡くなってしまう。

その霊に水を捧げ、冥福を祈る目的で作られたのが平和の泉だ。

平和の泉にある石碑には水を求めてさまよった少女の手記が刻まれている。

そこには

「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」

と書かれている。

当時の痛ましい記憶が蘇る。

まとめ

長崎の原爆の歴史はこれで把握できただろうか?

しっかりと歴史を認識し、黙祷を捧げる。

これこそ、我々にできることではなかろうか?

広島の原爆の本当の悲劇を知りたい方はここから読めるぞ

-ブログ

Copyright© オオカミニュース , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.